NPO法人なみあい育遊会 新・浪合通年合宿わくわく日記

浪合通年合宿は、今年第31期です。山村留学の様子を毎日、お伝えします。

長野県には、松本山雅がある、ということ。

 

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今日はサッカー観戦の日。松本市の球技場、アルウィン松本空港そば)まで行きます。天気が気になりますが、カッパ持参です。

浪合地区の子も6人希望があり、いっしょに行くことにしました。

浪合スポーツクラブ、浪合こども育成会合同企画です。

前日来、荷物の準備を整えてきましたが、話題になったのが、服の色。長野県のプロサッカーチーム、松本山雅(まつもと やまが)のチームカラーは緑です。緑の服がある子もいれば、ない子もいます。「この色でもいい?」「この色は大丈夫?」

対戦相手は大宮アルディージャ、チームカラーはオレンジです。

「オレンジ色じゃなければ、大丈夫だよ」

といってみても、あーでもないこーでもない、とこどもたち(笑)

わくわくってもんですね。

先日、長野県は大方がコロナ感染警戒レベルが3から1になったのですが、松本市だけが依然3。キックオフが18時からですから、コロナ禍がなければスタジアムに座ってお弁当でも食べながらの観戦ですが、今日はそういうわけにはいかないです。

「ええ、買い食いもなしなの??」

という声がありましたが、そこは我慢してもらいました。

したがって腹ごしらえはバスの中。いつもいっしょに給食を食べている浪合のこどもたちだけだし、その方が安全かな、ということで。外は雨ですし。

道中のマイクロバスの中で、16時すぎに用意したパンをひとつ食べ、帰りのバスで残り2個を食べる作戦です。もちろん別におやつも用紙したので、それもだいたい食べてます。

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17時ころにスタジアムに到着、おこづかいで記念品などを購入する子もいて試合開始10分前に着席。もちろん、席は到着直後に全員分確保しておきました。

キックオフから、毎年サッカー観戦を引率している私からすると、結構試合を見られている子が多いかな、と思いました。ふだん浪スポで取り組んだり、ワールドカップの最終予選を見たりしてきたからでしょうね。オフサイドも多くの子がわかってるしね。

ただ、残念なのは、ゴールシーンが見られなかったこと。0-0のスコアレスドローでした。終盤はオープンな展開になり、きわどいシーンも続出で盛り上がりはしたんですがね。85分あたりで、「なにやらこれはスコアレスのにおいがするな」「うん、僕もそう思う」なんて会話もありました。

山雅がJ2の17位(試合前勝ち点18)、大宮がJ2の21位(同12)。今シーズンはJ2全22チーム中下から4チームがJ3に降格する厳しいシーズンですから、両チーム勝ち点3がほんとにほしい試合だったはず。でもえてしてそんなカードはスコアレスドローって結果が多いものですね。けど「楽しかった」「選手、足早かった」「キックの音が気持ちよかった」などの感想が聞かれて、よかったです。

 

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心配だった天気ですが、アルウィンで降られることなくすみました。

突然の降雨にもこまらないように、カッパを上下着ての観戦にしていましたが、杞憂だったようです。けど、風があったり、ナイターゲームで気温も下がり気味だったので、保温になってよかったです。

帰りのバスでは、9時ころまでにぎやかでしたが、9時30分ころにはみんな寝てしまって静かになっていました。

10時35分ころにセンター到着。速やかに部屋にいっておやすみなさい、でした。

くずてつ

 

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(タイトルにまつわる、余談です。)

松本山雅というチームは、なんともドラマをたくさん持っているチームです。

まず、山雅というチーム名。これ、松本駅前に本当にあった喫茶店の名前です。

そこに国体選手らサッカー好きが集まって、1965年、松本山雅の前身のチーム「山雅サッカークラブ」ができたのです。最初はもちろん県リーグのチームでしたが、1975年から北信越リーグに進出、2010年にJFL、2012年に念願のJ2に昇格し、プロリーグの仲間入りを果たしました。

北信越リーグ時代の2009年には、天皇杯でJ1の名門チーム浦和レッズを2-0で破って話題になりました。アルウィンに訪れた多くのレッズサポを沈黙に陥れたFW柿本倫明の2発は、スタンドで観戦していた私にとっても痛快なものでした。当時のライバルチーム、長野パルセイロ長野市のチーム。現在J3)と対戦したある試合では、延長の後半だったと思いますが、パルセイロのPKを山雅のキーパーが止め、そこからのカウンターでパルセイロゴールに襲い掛かり、ファウルで止められはしたものの、ペナルティエリアすぐ左外で得たFKを鐵戸選手が見事に決めて決勝点を挙げたのも記憶に残っています。

JFL時代最後の2011年には、元日本代表DFの松田直樹選手が入団したことでも話題になりました。トルシエジャパンのフラット3の一角であり、横浜Fマリノスで長年中澤佑二選手とCBコンビを組んでいた彼は、「おれ、サッカーが好きだから、もう少し、サッカーやらせてください」と、マリノスを退団する際に引退ではなくJFL(完全プロリーグではないリーグ)の松本山雅に行くことをそうやってサポに伝えました。ユニフォームの洗濯も自分でする新しい環境を楽しみながらチームを引っ張っていた松田直樹選手が、8月2日、急性心筋梗塞で練習中に倒れ、死亡したのは本当に衝撃でした。チームにも当然激震が走ったわけですが、一致団結して昇格に向かい、念願のJ2にこの年の末、舞台を移すこととが決まりました。この年の天皇杯では、山雅はマリノスと対戦することになりました。J1新潟を破ってマリノスとの対戦に臨んだ山雅でしたが、この因縁の対決は、マリノスに軍配があがりました。4-0。松田選手の盟友・中村俊輔選手が4点目を奪っています。松田選手の背番号はマリノスでも山雅でも3でしたが、マリノスでは3は永久欠番になりました。山雅の3は、長野県出身のサイドバック田中隼磨選手が背負うことになります。

その翌年から反町康治氏が8年間にわたって山雅の指揮をとることになります。

運動量豊富な反町サッカーは、感動のサッカーでもありました。90分もう、走るんです。このころから、アルウィン劇場という言葉がよく聞かれるようになりました。試合終盤に劇的な決勝点をあげて大盛り上がりをするアルウインのことを指す言葉です。ONE SOULという山雅の合言葉とあいまって、そんな山雅の感動的な試合っぷりに、松本の、いや、長野県の多くの人は心を打たれ、ファンになり、サポーターになっていきました。リアリストな反さん(そりさん 反町監督の愛称)は、相手の良さも巧妙に消し去るサッカーで勝ちを拾っていき、8年間で2度のJ1昇格を手にしています。

しかし、J1では、なかなか勝ち切れる試合はなく、それぞれ1年でのJ2降格となっています。

アルウィンの応援は、Jリーグ屈指です。スタジアムの規模こそ中規模ですが、マナーよく、まとまりもよく、声量のある応援は、新参の山雅ファンのみならずアウェイで観戦に来られる多くの方の心もつかみます。選手も同様で、山雅の選手は「力をもらえる」といいますし、相手チームは「やりにくさがある」といいます。私は結構多くのスタジアムで試合観戦をしていますが、アルウィンの応援は本当に素晴らしいです。ただコロナ禍で、声を出す応援が昨年度からできません。今日もアルウィンのフルパワーの姿ではありませんでした。残念です。しかし子どもたちは、緑の服を着た人がこんなに集まっているんだということを、驚きをもって見たことでしょう。

愛されているのです、松本山雅は。この点、生まれ故郷で、人口の割にいまひとつ愛が足らへんのちゃう?と思う某チームサポはうらやましいのです(笑)

いつか、子どもたちと、全力山雅愛にあふれるアルウィンで試合を楽しみたいものです。

以下、アルウィンの在りし日の姿をふたつ、あげておきますね。↓

www.youtube.com

 

www.youtube.com

(雑文失礼しました)

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2004年からブログを続けています。2019年1月、ブログサービス乗り換えにより、「新」をつけました。